フランシスコ・カナロ『インビエルノ(1937年)』|FRANCISCO CANARO『INVIERNO』(BATC-89132)
フランシスコ・カナロ『インビエルノ(1937年)』|FRANCISCO CANARO『INVIERNO』(BATC-89132)
フランシスコ・カナロ『インビエルノ(1937年)』|FRANCISCO CANARO『INVIERNO』(BATC-89132)
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◆録音年:1937年
◆録音場所:アルゼンチン
◆レーベル:BUENOS AIRES TANGO CLUB
◇※CD-R盤
◇●曲目
①ドン・アルバロ
②ミラグロ
③ケ・ナディエ・セ・エンテレ
④ミロンガ・デ・ミス・アモーレス
⑤ノ・カンテス・エセ・タンゴ
⑥ナイフで一突き
⑦なぜか問わないで
⑧コポ・デ・ニエベ
⑨セ・ロ・ジェバロン
⑩汚れた顔
⑪プラ・ミロンガ
⑫インビエルノ
⑬ミロンガ・デ・アンターニョ
⑭ビエホス・ティエンポス
⑮ラス・クアレンタ
⑯宣告
⑰ラ・ノーチェ・ケ・メ・エスペレス
⑱リンコン・フロリード
⑲アルヘンティーナ
⑳レクエルド・デ・パリス
◇ブエノスアイレス・タンゴ・クラブによるディエゴン・ディスク・シリーズでF・カナロは既に3枚出されている。1933年、35〜38年、41〜43年である。そして今回の2枚は、1937年と38年である。さすがにこの頃になると、年間で80〜90曲程度の録音となっており、年間300曲近くも録音した1920年代後半と比べると少ない曲数であるが、1915年から64年で3730余曲の録音を残したカナロの年平均録音数は保たれていた時期である。それも1930年代後半というタンゴにとっては試練の時期であっただけにさすがカナロと驚かずにはいられない。カナロいうと人によって好みの時期が分かれるところであろう。オデオンの原盤番号で4200番から4400番の1926年〜28年あたりを圧倒的に好む人もいれば、来日時の1961年のスタイルを好む人もいる。その反面、途中のこの30年代というのは管楽器が多用されたりして、カナロの大衆迎合路線への変貌期ということで、そうした点でも好みが分かれる。しかし、改めて聴いてみると実に良い演奏も残されている。アンサンブルも決して悪くない。カンジェンゲな味を出すところは圧巻でもある。この2枚の歌手はロベルト・マイダである(39年からは35年4月まで在籍していたエルネスト・ファマに戻る)。37年ではH・ペトロッシ作でタイトルの「インビエルノ」やE・S・ディセポロの「コンデーナ」、5人兄弟の末弟M・カナロ作の「パリの想い出」などが実に素晴らしい。ミロンガでなくタンゴ・スタイルの「ラ・プニャラーダ」の初録音もある。38年ではM・P・ウエルゴの「別れ」、J・ダリエンソの「忍耐」「ナダ・マス」、F・ディチコの「別れのメロディ」、M・パルドの「ラ・マレーバ」、自作の「マドレセルバ」、C・ガルデルの「マノ・ア・マノ」と名曲(名演と言ってもよかろう)が続く。そしてこの時期、ダリエンソが『踊り手の足にタンゴを取り戻した』と言われるが、この時期のカナロも実にダンスに相応しい。
月刊ラティーナ2014年7月号掲載(飯塚久夫)
◆録音場所:アルゼンチン
◆レーベル:BUENOS AIRES TANGO CLUB
◇※CD-R盤
◇●曲目
①ドン・アルバロ
②ミラグロ
③ケ・ナディエ・セ・エンテレ
④ミロンガ・デ・ミス・アモーレス
⑤ノ・カンテス・エセ・タンゴ
⑥ナイフで一突き
⑦なぜか問わないで
⑧コポ・デ・ニエベ
⑨セ・ロ・ジェバロン
⑩汚れた顔
⑪プラ・ミロンガ
⑫インビエルノ
⑬ミロンガ・デ・アンターニョ
⑭ビエホス・ティエンポス
⑮ラス・クアレンタ
⑯宣告
⑰ラ・ノーチェ・ケ・メ・エスペレス
⑱リンコン・フロリード
⑲アルヘンティーナ
⑳レクエルド・デ・パリス
◇ブエノスアイレス・タンゴ・クラブによるディエゴン・ディスク・シリーズでF・カナロは既に3枚出されている。1933年、35〜38年、41〜43年である。そして今回の2枚は、1937年と38年である。さすがにこの頃になると、年間で80〜90曲程度の録音となっており、年間300曲近くも録音した1920年代後半と比べると少ない曲数であるが、1915年から64年で3730余曲の録音を残したカナロの年平均録音数は保たれていた時期である。それも1930年代後半というタンゴにとっては試練の時期であっただけにさすがカナロと驚かずにはいられない。カナロいうと人によって好みの時期が分かれるところであろう。オデオンの原盤番号で4200番から4400番の1926年〜28年あたりを圧倒的に好む人もいれば、来日時の1961年のスタイルを好む人もいる。その反面、途中のこの30年代というのは管楽器が多用されたりして、カナロの大衆迎合路線への変貌期ということで、そうした点でも好みが分かれる。しかし、改めて聴いてみると実に良い演奏も残されている。アンサンブルも決して悪くない。カンジェンゲな味を出すところは圧巻でもある。この2枚の歌手はロベルト・マイダである(39年からは35年4月まで在籍していたエルネスト・ファマに戻る)。37年ではH・ペトロッシ作でタイトルの「インビエルノ」やE・S・ディセポロの「コンデーナ」、5人兄弟の末弟M・カナロ作の「パリの想い出」などが実に素晴らしい。ミロンガでなくタンゴ・スタイルの「ラ・プニャラーダ」の初録音もある。38年ではM・P・ウエルゴの「別れ」、J・ダリエンソの「忍耐」「ナダ・マス」、F・ディチコの「別れのメロディ」、M・パルドの「ラ・マレーバ」、自作の「マドレセルバ」、C・ガルデルの「マノ・ア・マノ」と名曲(名演と言ってもよかろう)が続く。そしてこの時期、ダリエンソが『踊り手の足にタンゴを取り戻した』と言われるが、この時期のカナロも実にダンスに相応しい。
月刊ラティーナ2014年7月号掲載(飯塚久夫)