フアン・ダリエンソ『コンパドロン(1940-1944年)』|JUAN D'ARIENZO『COMPADR?N』(BATC-89144)_NTAR_
フアン・ダリエンソ『コンパドロン(1940-1944年)』|JUAN D'ARIENZO『COMPADR?N』(BATC-89144)_NTAR_
フアン・ダリエンソ『コンパドロン(1940-1944年)』|JUAN D'ARIENZO『COMPADR?N』(BATC-89144)_NTAR_
¥2,200
◆録音年:1940-1944年
◆録音場所:アルゼンチン
◆レーベル:BUENOS AIRES TANGO CLUB
◇※CD-R盤
◇●曲目
①フロール・デル・マル
②ミエド
③ジャ・ロ・ベス
④ディメ・ミ・アモール
⑤エル・オリーボ
⑥もう決して
⑦やがて
⑧恥辱
⑨ムチャチータ・ポルテーニャ
⑩クラウディネッテ
⑪ティランド・ア・マタール
⑫伊達男
⑬エナモラード
⑭タンゴ・ブルーホ
⑮ジョ・キエロ・カンタール・ウン・タンゴ
⑯シ・ラ・ジェガラン・ア・ベール
⑰アギルチョ
⑱人は
⑲リリアン
⑳アマラス
◇ダリエンソ楽団の専属歌手としてマウレーが録音した1940〜44年の全50曲から20曲を選んだもの。マウレーは歴代のダリエンソ楽団専属歌手の中でソリストとして最も成功したと思うが、その反面、あまりダリエンソらしくないスタイルの持ち主だったとも言える。ガルデルの流儀に忠実で深く甘い歌声は、下町調で威勢よい歴代歌手たちとは一線を画す。その点はレパートリーにも顕著で、④⑨⑩⑲の甘い雰囲気は他の時代には少ない。しかし両者のバランスが良い⑤⑥⑧⑫⑳などはこの時期を代表する好演だ(「ウミジャシオン」「シカトリセス」がないのは残念)。1回目の楽団員脱退事件の後、バレーラとサラマンカの参加を得て楽団の立て直しを図っていたダリエンソにとってマウレーの獲得は大きな契機だったはず(ちなみにエクトル・マウレーという芸名、エクトルは当のバレーラから、マウレーはダリエンソの奥方の名字だそうだ)。
月刊ラティーナ2014年7月号掲載 (西村秀人)
◆録音場所:アルゼンチン
◆レーベル:BUENOS AIRES TANGO CLUB
◇※CD-R盤
◇●曲目
①フロール・デル・マル
②ミエド
③ジャ・ロ・ベス
④ディメ・ミ・アモール
⑤エル・オリーボ
⑥もう決して
⑦やがて
⑧恥辱
⑨ムチャチータ・ポルテーニャ
⑩クラウディネッテ
⑪ティランド・ア・マタール
⑫伊達男
⑬エナモラード
⑭タンゴ・ブルーホ
⑮ジョ・キエロ・カンタール・ウン・タンゴ
⑯シ・ラ・ジェガラン・ア・ベール
⑰アギルチョ
⑱人は
⑲リリアン
⑳アマラス
◇ダリエンソ楽団の専属歌手としてマウレーが録音した1940〜44年の全50曲から20曲を選んだもの。マウレーは歴代のダリエンソ楽団専属歌手の中でソリストとして最も成功したと思うが、その反面、あまりダリエンソらしくないスタイルの持ち主だったとも言える。ガルデルの流儀に忠実で深く甘い歌声は、下町調で威勢よい歴代歌手たちとは一線を画す。その点はレパートリーにも顕著で、④⑨⑩⑲の甘い雰囲気は他の時代には少ない。しかし両者のバランスが良い⑤⑥⑧⑫⑳などはこの時期を代表する好演だ(「ウミジャシオン」「シカトリセス」がないのは残念)。1回目の楽団員脱退事件の後、バレーラとサラマンカの参加を得て楽団の立て直しを図っていたダリエンソにとってマウレーの獲得は大きな契機だったはず(ちなみにエクトル・マウレーという芸名、エクトルは当のバレーラから、マウレーはダリエンソの奥方の名字だそうだ)。
月刊ラティーナ2014年7月号掲載 (西村秀人)