ラ・フアン・ダリエンソ『リズムの王様』|La Juan D'arienzo『El Rey del Comp?s』(MUSAS-7020)_LLTAR_
ラ・フアン・ダリエンソ『リズムの王様』|La Juan D'arienzo『El Rey del Comp?s』(MUSAS-7020)_LLTAR_
ラ・フアン・ダリエンソ『リズムの王様』|La Juan D'arienzo『El Rey del Comp?s』(MUSAS-7020)_LLTAR_
¥2,500
2023年来日記念盤!
収録曲
1. Este es el Rey(これぞ王様)
2. Mirlo(黒歌鳥)
3. Ahi Va el Dulce (甘きものを)
4. Sequia (干ばつ)
5. Rie Payaso (笑え道化師)
6. El Huracan (台風)
7. El Pañuelito Verde (緑のハンカチ)
8. Canaro en Paris (パリのカナロ)
9. Lisboa Nuestra (私たちのリスボン)
10. Don Pacifico (ドン・パシフィコ)
11. Cumbia Milonguera (クンビア・ミロンゲーラ)
12. Jamas Ni Nunca (決して決して)
13. Canzoneta (懐かしい歌)
14. Loca (ロカ)
タンゴ界の一番人気はどの楽団だろうか?
アストル・ピアソラはフィギュア・スケートやクラシック界で大人気だし、心憎いばかりの親しみやすさでタンゴ王として知られるフランシスコ・カナロ楽団もある。でも、なんといっても古今東西のタンゴ人気ナンバー1はフアン・ダリエンソ楽団ではなかろうか。ジャズに人気が集まった30年代のアルゼンチンにて、電撃のリズムと称された強烈なスタッカートで低迷していたタンゴ界に活力を与え、歌よし、曲よし、ダンスよしの黄金の1940年代の先駆けとなった。多くの優れたタンゴ楽団ができ、多くのスター歌手が人気をさらい、多くの歌が歌われた。多くの社交場が作られ、多くの人で賑わった。その時代から今日に至るまで、タンゴがブエノスアイレスのポピュラー音楽シーンの中心でなくなっても、フアン・ダリエンソがこの世を去ってもダリエンソ楽団の人気は続いている。ジャズのカウント・ベイシー・オーケストラやマンボのペレス・プラード楽団らのように特徴的なスタイルを持つ一流楽団は、リーダー亡き後も意思を注いだ新リーダーが楽団を引き継ぎ、往年のスタイルで人気を保っている。ダリエンソ楽団において、その重積を担ったのがカルロス・ラサリであった。
カルロス・ラサリはミゲール・カロー楽団、カナーロ楽団を経て1950年にフアン・ダリエンソ楽団に参加した。すでにダリエンソ楽団らしさが確立した後のことだった。ほどなく第一バンドネオンの座につき、アレンジも手がけるようになった。頭角を表したラサリは76年にフアン・ダリエンソが亡くなるまで彼の右腕で居続けた。並行して、ダリエンソの提案により、72年からはダリエンソ楽団のメンバーのうち4人でロス・ソリスタス・デ・ダリエンソとしても活動を始めた。そしてダリエンソ楽団を引き継いだ。人気あるダリエンソ楽団は何度も日本に来ており、日本人に刻まれたダリエンソ楽団(ラサリ楽団としても公演もある)の思い出は数限りなくあるのではなかろうか。
そのカルロス・ラサリが亡くなったのは2009年。ダリエンソ楽団とそのスタイルを受け継いだのがカルロスの孫、1987年生まれの若きファクンド・ラサリである。カルロスからバンドネオンを習得し、2008年にカルロス指揮フアン・ダリエンソ楽団でデビュー、09年にロス・ソリスタス・デ・ダリエンソを継ぎ、12年にダリエンソ楽団の後継となるラ・フアン・ダリエンソでの活動を開始した。そして早くも15年に来日公演を実現した。順風満帆の歩みが危機に陥ったのは他ならぬ新型コロナ・ウイルス感染症による世界的なロック・ダウン(都市封鎖)だった。決定していた21年の来日公演は中止、翌22年公演も再延期となり、ようやく23年に2度目の日本公演を行う目処が立った。その間、ファクンドらはインターネットを活かしたストリーミング番組を開始し、22年3月にはヨーロッパでの活動を再開した。この苦しい経験を通じて、ラ・フアン・ダリエンソのメンバー間のチームワークがより強固になったという。
国内盤として『電撃のリズム』(MUSAS-7001)に次ぐ本盤 は、アルゼンチンでの3枚目『Bienvenido a Este Sector』からのピックアップほかに最新録音8曲を組み合わせた来日記念盤である。録音は2022年、ブエノスアイレスの名門IONスタジオで10時間のセッション2回によるもの。録音とミキシングは、60年代にダリエンソ楽団やピアソラ楽団のレコーディングで知られるオスバルド・アセードが担当した。祖父カルロスとも仕事をしてきたアセードとの作業は、とても嬉しく学びと逸話に満ちていたと、ファクンドは振り返っている。
(ライナーノーツ:山本幸洋 YAMAMOTO, Takahiro)
収録曲
1. Este es el Rey(これぞ王様)
2. Mirlo(黒歌鳥)
3. Ahi Va el Dulce (甘きものを)
4. Sequia (干ばつ)
5. Rie Payaso (笑え道化師)
6. El Huracan (台風)
7. El Pañuelito Verde (緑のハンカチ)
8. Canaro en Paris (パリのカナロ)
9. Lisboa Nuestra (私たちのリスボン)
10. Don Pacifico (ドン・パシフィコ)
11. Cumbia Milonguera (クンビア・ミロンゲーラ)
12. Jamas Ni Nunca (決して決して)
13. Canzoneta (懐かしい歌)
14. Loca (ロカ)
タンゴ界の一番人気はどの楽団だろうか?
アストル・ピアソラはフィギュア・スケートやクラシック界で大人気だし、心憎いばかりの親しみやすさでタンゴ王として知られるフランシスコ・カナロ楽団もある。でも、なんといっても古今東西のタンゴ人気ナンバー1はフアン・ダリエンソ楽団ではなかろうか。ジャズに人気が集まった30年代のアルゼンチンにて、電撃のリズムと称された強烈なスタッカートで低迷していたタンゴ界に活力を与え、歌よし、曲よし、ダンスよしの黄金の1940年代の先駆けとなった。多くの優れたタンゴ楽団ができ、多くのスター歌手が人気をさらい、多くの歌が歌われた。多くの社交場が作られ、多くの人で賑わった。その時代から今日に至るまで、タンゴがブエノスアイレスのポピュラー音楽シーンの中心でなくなっても、フアン・ダリエンソがこの世を去ってもダリエンソ楽団の人気は続いている。ジャズのカウント・ベイシー・オーケストラやマンボのペレス・プラード楽団らのように特徴的なスタイルを持つ一流楽団は、リーダー亡き後も意思を注いだ新リーダーが楽団を引き継ぎ、往年のスタイルで人気を保っている。ダリエンソ楽団において、その重積を担ったのがカルロス・ラサリであった。
カルロス・ラサリはミゲール・カロー楽団、カナーロ楽団を経て1950年にフアン・ダリエンソ楽団に参加した。すでにダリエンソ楽団らしさが確立した後のことだった。ほどなく第一バンドネオンの座につき、アレンジも手がけるようになった。頭角を表したラサリは76年にフアン・ダリエンソが亡くなるまで彼の右腕で居続けた。並行して、ダリエンソの提案により、72年からはダリエンソ楽団のメンバーのうち4人でロス・ソリスタス・デ・ダリエンソとしても活動を始めた。そしてダリエンソ楽団を引き継いだ。人気あるダリエンソ楽団は何度も日本に来ており、日本人に刻まれたダリエンソ楽団(ラサリ楽団としても公演もある)の思い出は数限りなくあるのではなかろうか。
そのカルロス・ラサリが亡くなったのは2009年。ダリエンソ楽団とそのスタイルを受け継いだのがカルロスの孫、1987年生まれの若きファクンド・ラサリである。カルロスからバンドネオンを習得し、2008年にカルロス指揮フアン・ダリエンソ楽団でデビュー、09年にロス・ソリスタス・デ・ダリエンソを継ぎ、12年にダリエンソ楽団の後継となるラ・フアン・ダリエンソでの活動を開始した。そして早くも15年に来日公演を実現した。順風満帆の歩みが危機に陥ったのは他ならぬ新型コロナ・ウイルス感染症による世界的なロック・ダウン(都市封鎖)だった。決定していた21年の来日公演は中止、翌22年公演も再延期となり、ようやく23年に2度目の日本公演を行う目処が立った。その間、ファクンドらはインターネットを活かしたストリーミング番組を開始し、22年3月にはヨーロッパでの活動を再開した。この苦しい経験を通じて、ラ・フアン・ダリエンソのメンバー間のチームワークがより強固になったという。
国内盤として『電撃のリズム』(MUSAS-7001)に次ぐ本盤 は、アルゼンチンでの3枚目『Bienvenido a Este Sector』からのピックアップほかに最新録音8曲を組み合わせた来日記念盤である。録音は2022年、ブエノスアイレスの名門IONスタジオで10時間のセッション2回によるもの。録音とミキシングは、60年代にダリエンソ楽団やピアソラ楽団のレコーディングで知られるオスバルド・アセードが担当した。祖父カルロスとも仕事をしてきたアセードとの作業は、とても嬉しく学びと逸話に満ちていたと、ファクンドは振り返っている。
(ライナーノーツ:山本幸洋 YAMAMOTO, Takahiro)